続・風のとおり道

自己探求と不思議なこと、ヘミシンクの記録です。

未来はコメディにもホラーにもなる バシャール

 

バシャール 本田健 「未来はえらべる」から

 

 ということは、いまこの惑星は、平和で静かで、みんなが自分の大好きなことをやっている地球と、いつも戦って競争して、おたがいに足を引っ張っている不幸な地球とに分かれつつあるということですか?

 

バシャール ええ、でもそのふたつ以外の選択肢もたくさんあります。いまの話は、わかりやすいように非常に簡略化して言ったまでです。

みなさんがどの地球にシフトするのか、選択肢は無限にあります。

 

健 そうすると、地球の数は無限にあって、その数だけ異なった現実があるということですか?

 

バシャール はい、そうです。

 

健 では、夫婦でいながらも、違う地球に住むこともあるわけですか? それとも波動が違った場合は離婚して、波動の合う人と一緒にいるようになるんですか?

 

バシャール そういうこともありますが、ケース・バイ・ケースです。その人が、どのようにして自分の体験を作っていったかを見ていかないと、一概に言うことはできません。

 

健 では質問を変えると、違う地球に住んでいる人たちも一緒に、同じ会社や学校にいることができるのでしょうか?

それとも、違う地球に住む人たちはいずれ、コミュニティごとに分かれておたがいに会わなくなるのか、どちらなのでしょう?

 

バシャール 周波数があまりにも違いすぎてしまうと、おたがいに二度と出会うことはなくなります。

別々の地球で生活することになります。似たような考え方の地球を体験するためには、ある程度、波動が似通っている必要があるのです。

 

健 そういえば、高校時代に誰からものすごく嫌われていやな性格だったクラスメートとは、20年くらい会っていないのですが、もしかしたら彼は違う地球に行ってしまったということですか?

 

バシャール ある意味ではそうです。

 

健 えっ、やっぱり?

 

バシャール でも、覚えておいてください。たとえば、その人にまた会ったとします。そのときに彼が、当時と同じような姿格好をしていたとしても、別人なのです。

いろいろな世界に、ひとりの人のいろいろな別バージョンが住んでいるのです。

 

健 同じ人でも.....?

 

バシャール 同じ人ではありません。

同じ人のように『見えている』だけです。それは幻想なのです。

 

健 なるほど。たとえば、しばらく前にエンディングを観客が決められる映画がありましたが、ある意味ではこの世界も、それぞれの毎瞬毎瞬の選択によって、その人の住む地球のシナリオが刻々とできあがってくるということですか?

 

バシャール そのとおりです。同時にみなさんが自分自身の宇宙も作っているのです。覚えておいてください。

あなたの現実の中にいるあなた以外の人は、『あなたの宇宙バージョン』のその人なのです。

 

物質次元では、ほかの人を直接体験することはできません。

魂次元でなら、集合的合意を通して、ほかの人を直接体験することができます。なぜなら魂次元に行くと『すべてはひとつ』だからです。

でも物質レベルでは、みなさんはさまざまに細分化された『パラレル・リアリティ』を生きています。ですから、普段のみなさんは、自分が作った現実の中の『自分バージョンの相手』を通して、その人を間接的に体験することしかできないのです。 

 

健 ということは、この世界は、自分たちがこういう世界になってほしい、あるいはこういう世界を選択したいと思ったとおりにできている映画のようなものですか?

 

バシャール そうです。いまみなさんが見ているのは、『自分が現実だと信じているもの』の反映です。

 

健 では、その人の選択でコメディにもなればホラーにもなるし、素晴らしい感動の映画にもなるということでいいのでしょうか。

 

バシャール まさしくそのとおりです。

 

健 そして人はどんなシナリオも選択することができる、どんな現実もつくることができると考えていいんでしょうか。

 

バシャール 一般的にはそうです。でもシナリオによっては、それが技術的に可能であっても、その人がこの世界で探求しようと選んだテーマから見て、少しも現実的でなかったり、妥当でないこともあります。

技術的にはどんなことでも可能といえば可能ですが、たとえば突然、頭を三つ付けて、背中に羽を生やすなどというこは、現実レベルでは妥当なこととは言えませんよね。

そんなことをしなくても、与えられた現実の中で自分のテーマを探求するために適切な表現は、いくらでもあります。