続・風のとおり道

自己探求と不思議なこと、ヘミシンクの記録です。

女神からの贈り物 イシス

神話の力より。

女神からの贈り物

 

ホルスに乳を与えるイシス

キャンベル 意外かもしれませんが、古代におけるマドンナ(聖母)のモデルは、ホルスに乳を与えるイシスです。

モイヤーズ イシスが?

キャンベル ややこしい話になって恐縮です。実際こういうことは複雑な話にならざるを得ないんです。

 

イシスとその夫オシリスは女神ヌートから生まれた双子でした。

 

年下の身内に、やはりヌートから生まれた双子のセトとネフティスがいました。ある晩、オシリスが、相手はイシスだと思い込んでネフティスと寝てしまった。

 

大ざっぱな性格とでも言うんでしょかね。その結果、アヌビスが生まれた。オシリスの長男だが、正式の妻の子ではない。

 

ネフティスの夫セトはこれに腹を立て、兄オシリスを殺そうとする。ひそかにオシリスの身の丈などを調べあげ、それにピッタリの美しい石棺を造らせる。

 

そしてある晩、神々がにぎやかな酒宴を開いているあいだに、セトがその石棺を担がせた従者を従えて登場し、この石棺にピッタリ収まる方がおられたら、その墓地のために献上すると宣言する。

 

宴席の誰もが試してみるが、もとろん、オシリスだけが棺にピッタリと収まる。するとたちまち、72人の腹心の者が飛び出して、がっちりふたをしめ、棺を皮紐で縛りつけ、ナイル川に運んで投げ捨てる。

 

ここでひとりの神が死ぬわけです。そしてそういう神の死があると、きっと次には復活があると予想できます。

 

オシリスの死は、象徴としては、毎年のナイルの増水と洪水に関わっています。その洪水のおかげでエジプトは肥沃になったのです。まるでオシリスの肉体の腐敗が大地に豊かな生命力を与えたかのように。

 

オシリスの死体はナイル川を下って、結局シリアの海岸に打ち上げられる。素晴らしい香りが発する気が生えて、石棺がその幹によって包み込まれてしまう。

 

たまたま、その土地の国王に王子が生まれ、王は宮殿を新築するところでした。その木の香りがあまりに素晴らしいので、王はそれを切り倒し、宮殿の大広間の中柱にするよう命じます。

 

一方、夫をナイル川に投げ捨てられた嘆きの神イシスは、その遺体を探すために旅に出ます。魂の伴侶である神を探索するというのは当時の神話の基本的なテーマでした。

 

死んだ夫、あるいは恋人を探し求め、相手に対する誠実な愛ゆえに黄泉の世界にまで入って彼を救い出すというテーマです。

 

やがて、イシスはシリアにたどり着き、宮殿に芳香を放つ柱があることを聞く。オシリスになにか関わりがあるのではないかと思った彼女は、生まれて間もない王子の仕事を引き受けるのです。

 

それがね、イシスは自分の指をしゃぶらせて、そこから乳をやるんです。なにしろ女神なので、方便のために身を落とすとしても限度があるってわけでしょう。それでも赤ん坊を愛し、その体を暖炉の火で焼き尽くすことによって不滅の生を与えようとします。

 

言うまでもなく、女神ですから、火が王子を焼き尽くすことは防げるのです。そして毎晩、王子が火で焼かれているあいだ、彼女はツバメに変身し、夫が閉じ込められている柱の回りを悲しげに飛び回るのです。

ある晩、こういう場面が展開しているあいだに、子供の母親がやってきて、わが子が暖炉の火で焼かれているのを見て悲鳴を上げる。その声で魔力が破られるので、あわてて子供を焼死から救わなければならない。

 

一方、ツバメは堂々たる女神の姿を見せた乳母に戻り、妃に事情を説明したうえで、「ところで、あの柱の中には私の夫がいます。夫を連れて帰ることを許していただければありがたいのですが」と言います。

 

途中で姿を現してそれを聞いた国王は、「わかりました。お望みのとおりにしましょう」と言って、柱を抜かせてイシスに献上する。そしてオシリスの遺体の入った美しい石棺は王家の平底船に乗せられます。

 

ナイル・デルタに戻る途中、イシスは棺のふたを取り除き、遺体の上に身を伏して夫を抱きます。これは古代神話にしょっちゅう、多くの象徴的な形で現れるモチーフです。

 

死から生命が生まれるというモチーフ船が陸に着くと女神はパピルスの生い茂る沼地で子供を産みます。生まれた子供がホルスです。神によってはらんだわが子を抱く神聖な母親の姿がマドンナ(聖母)のモデルになったのです。

 

モイヤーズ そしてツバメは鳩になった、というわけですか?

 

キャンベル 空を飛ぶ鳩は、そう、霊のシンボルとしてかなり普遍的なものです。キリスト教でも精霊の象徴になり・・・

 

モイヤーズ 聖なる母とも結びついている?

 

キャンベル そうです。霊によってはらんだ母親と。でも、もうひとつ立ち入って話しておかなければなりません。嫉妬深い弟のセトがオシリスの王位を奪っていました。しかし、セトは正式に玉座につくためにはイシスと結婚しなければならない。

 

エジプトの図像(イコン)では、イシスは玉座を表しています。国王(ファラオ)は子供として玉座であるイシスのひざの上に座っています。

 

ですから、シャルトルの大聖堂の前に立つと、西向きの入り口に聖母(マドンナ)の像が玉座の形で置かれ、その上に幼な子イエスが座って、世界の皇帝として世界に祝福を与えています。

 

それはまさしく最古のエジプトから伝わってきたイメージにほかならないのです。昔の教父たち、昔の芸術家はたちは意図的にこういうイメージを受け継いできました。

 

モイヤーズ キリスト教の教父たちがイシスのイメージを受け継いだ?

 

キャンベル 間違いありません。彼ら自身がそう言っています。「大昔においてはただ神話的な形に過ぎなかった形象が、いまはわれらの救い主のうちに受肉して現実のものになっている」と明言したテキストがあります。

 

そこで言われている物語とは、死んでよみがえった神です。アッティス、アドニース、ギルガメシュオシリスなど、つぎつぎに現れます。

 

神の死と復活は世界中で月と結びついています。月は毎月いったん死んで、またよみがえる。その間に二晩、つまり三日にわたって闇が訪れる。そしてキリストは三日二晩墓の中にいたのです。

 

キリストの誕生日がほんとうはいつであったか、だれにもわかりませんが、冬至の日だとされてきました。これから夜が短くなり、昼が長くなるという12月25日です。

 

それは光が復活する時点です。それはまたちょうどペルシャの光の神ミトラ、それは太陽神ソールと同じですが、ミトラの誕生日でもあります。

 

モイヤーズ そこからなにを教えられるのでしょう。

 

キャンベル そこから私は、自分たちの生活においても思考においても、過去に対して死に、未来に対して生きるという理念があることを教えられます。動物性に対して死に、精神性に対して生きる。こういうシンボルはいろいろな形でそのことを語っているのです。

 

モイヤーズ そこでイシスはこう言うことができる。「私は万物の自然な母親。あらゆる元素の女主人であり、支配者である。聖なる力の司。地獄にあるすべてのものの女王でありながら、、天に住むすべてのものの主でもある。あらゆる神々と女神とがただひとりの姿において顕現した者」。

 

おわり。